キッチンカーをしている人ってどんな人なのだろう?
一体どんな人がキッチンカーを始めるのだろう?
自家用車で公道の信号で停車中、例えば隣にキッチンカーが停まっていた時、
イベントでキッチンカーを見かけた時など私自身もそんな事をよく考えていました。
ということで、簡単にですが店主である私のプロフィールを作成しました。
会社員時代
7年間食品業界に身を置き、4年間の食品製造管理を経た後に3年間は食品バイヤーを経験しました。
造る人から売る人になりながら歩いた食品流通の世界の中で以下のことを追求し学びました。
①安全な食品をどんな時でも変わらず提供し続けること
②目まぐるしく変化する市場ニーズを捉える力
③生まれたばかりの商品の育て方
そして何より大切な「お客様に喜ばれる美味しいものとは?」の答えを自分なりに見つけることができました。
それは、どのような商品であっても生産者の「真摯な心」が商品に宿っているかいないかでその商品の成長が上昇か下向するか、分かれていくのを何度も目にしました。
消費するきっかけにはコストパフォーマンスはもちろん大切ですが、
安かろうが高かろうが、想いを込めて作られた商品たちは生まれたばかりの頃は頼りなく
ヨチヨチ歩きでも、審美眼を持つ消費者の手に一度渡れば後は私の手から颯爽と離れて
猛スピードで表舞台に駆け上がっていきました。
365日天変地異があっても食品を完全な状態で流通させる裏方仕事は苦労も多かったです。
そんなシーンを何度も経験し食品を扱うことの面白さや醍醐味の感動が仕事の機動力でした。
キッチンカーを始めようと思ったきっかけ
会社員時代に何気なく目にしていたキッチンカー
「なにもなかった場所をたちまちお店にしてしまう」スタイルが気になっていました。
バイヤーは直接お客様と触れ合うことはなく、数字だけが商品の評価です。
出来立てのお料理を手にするお客様の表情をダイレクトに味わえるライブ感がキッチンカーにはあります。
「私もあの中に立ってそれを味わってみたい」
そんな想いが日に日に募るようになりました。
収入が安定し身分が守られている会社員の環境から何の保証もなく0から切り開く
キッチンカー開業の選択は正直怖かったです。
しかし、何よりも「美味しいものを自分で提供する環境」に飛び込みたい気持ちに最後は背中を押されました。
ブランドConcept
目指したのはSAUDADE(思い出・郷愁)のDINER(食堂)です。
引っ越しが多い家庭で育ちましたので、私が生まれ幼少期に過ごした家はもう他の家族が暮らしていて、駆け込み寺のように慕っていた祖母が暮らした団地の一室も祖母の他界と共に引き払いました。
こうして一つ一つ思い出が詰まった場所が離れていきました。
だからなのか「帰る場所」には強烈な憧れをずっと持ち続けています。
二度と会えることのない大切な人、まだ幼かった子供たち、友人やパートナーとの時間、
1人で超えた苦しい時間、または喜びを思い出すとき、私はいつも食事のシーンが浮かびます。
すり鉢を私が支え祖母が擦ったゴマの香り、その夕飯に出たほうれん草の胡麻和え、
病室で泣きながら食べた冷たい高野豆腐、家族で感激しながら囲んだお寿司の桶、
喧嘩しながら食べたお好み焼きなど、いつも思い出は食事と共にありました。
あの時の時間は巻き戻せませんが、あの時と同じ食べ物を口にした時ふと記憶から巻き戻ってきます。
「帰る場所はなくても帰る食べ物があれば良いな」
そんな私の細やかな想いから「saudade diner」と名付けました。
あなたの記憶を巻き戻した時に「saudade diner」がそこにありますようにと。
商品Concept
親しみとほんの少しの新しさや、
もう一度食べたくなる美味しさを作るための商品設計3つの柱を守ります。
①分かりやすい味と量感
・味がすぐに想像出来ること
・ボリューム感が伝わること
②大衆性とほんの少しの斬新さ
和(惣菜)洋(DELI)のバランスを重視したメニューとします。
③食を提供する責任
事故を防ぐポイントはシンプルなオペレーションです。
Scene concept
日常の中にある非日常をコンビニエンスストアでは実現できないことを追求し続けます。
①記憶に残るトラックデザイン
写真に収めたくなるようなフォトジェニックな外装
②意外なマーケットを発掘
移動販売の強みを活かしたカウンター物販
社会貢献
サウダージ・ダイナーが社会貢献性として実現したいことは以下となります。
障害のある人または障害のある人の家族にも、社会に参加するチャンスと活躍できる場所を作る。
そしてサウダージ・ダイナーを通して一つのコミュニティが形成される、そんな社会貢献性を実現したいと考えております。
以上です。
水色にお花のマークのついたキッチンカーを見かけたら是非お立ち寄りください。